イスラム教で緑は聖なる色。
イスラム教で聖なる色の緑ですが、
僕はイスラム教をそこまで知りません。
そもそも宗教をそこまで知りません。
ベトナムは今、旧正月が始まる始まらないかの、
年末感が満載です。
ベトナム人は皆、家族で過ごすために実家に帰ります。
なので配車サービスも少ないし、店もどんどん閉まります。
幸いなことに僕がよく来ているカフェは、
韓国人経営だからか、旧正月休みが無いそうで、助かっています。
この旧正月も、
もともとは神様的なものからはじまっています(たぶん)。
僕の息子の名前は緑と書いてロクといいます。
理由がいろいろあるのですが、ひとまずおいておいて
好きな色でもあった緑にしました。
昔は少し怖かったので、創価学会などの宗教を
無意味に怖がったりしていましたが
今は何も思いません。
何も思わないというより、
もうすべての神様に感謝をしたい感じです。
そこで宗教や神様に対して考えると、
僕は明らかに息子を神みたいに崇めてたりする自分に気づきます。
つまり僕は息子教なのです。
その神様の父親は僕なのだからややこしいもんです。
でも、僕は彼を無条件に信じ、無条件に愛し、無条件に尊く思います。
なので、息子教は間違いないんだと思います。
ふと煙草を吸う時、
ふと寝る前、
ふと素敵な人と出会った時、
息子はなにをしているのかな
息子だったらどうおもうかな
と思ってしまいます。
イスラム教の一流派のもとを開いた人、ムハンマドさんが
緑のターバンだったから、イスラム教の聖なる色なんだそうです。
僕は何かにつけて、緑色のものを選んでいました。
離れてなくても離れてても、今でもずっとです。
この前久々に会った友人とご飯を食べてる時、
なんとなく思っていたことが言葉になりました。
僕はもう息子に会えるかわかりません。
でも、
僕からいろいろ発信できるようになれば、
息子から気づかれる存在になれれば、
僕は息子にまた会えるんだと思います。
だから、輝けるように、
今日も、いろいろやらないと。
神聖な色が緑なら、
僕もイスラム教をもっと知ってみようかなと
ちょっと思いました。
どちらにしろ
ぼくの神さまを超える存在は
いまのところ眼の前に現れなさそうですが。
しんご
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