あいうえお作文「あ」愛
昨日、大好きで仕方がない日本のTV番組【さんまのお笑い向上委員会】の
魔王VSヒゲグリアが最高すぎて、
一人でえづくほど笑って、その後、珍しく超二日酔いの頭で
ボーッと考えました。
この面白さを共有したいけど、だれも周りにいないことを実感しました。
生活の大半は、
仕事だったり、お金のことはもちろん、住んでいる部屋だったり、
天気だったり、よく行くスーパーの商品の価格だったり、
一緒に住んでる猫だったり、よく行く行きつけの店だったりのことがすごく重要で、
人間は、それらを一緒に楽しめる人と一緒にいようとする。
でも
たぶん僕が本当に大事だったりするのは、
好きな趣味だったり、音楽だったり、大好きなTV番組で一緒に笑ったり、
大好きな映画で一緒に考えたりすることだったなと、思い出しました。
私がこの世界で一番愛した人は、
一緒に「世界の果てまでイッテQ」を見て死ぬほど笑える人でした。
そういう【努力しないでも手に入る情報】を一緒に共有できる人
そういうところがとても重要で、すごく深いんだなと、二日酔いの頭で考えました。
なんか自分がせっせとその場所に行って得た知識や経験や芸術は
どうしてもうまく共有できないのです。
それはたぶん自分が探しに行ったという行為がプラスアルファで入ってて。
その時点で好きという気持ちがあるので、誰とも共有し難いのでは無いかなと思います。
宗教のように聴いていた中村一義を同じ様に理解してくれた人もいなければ、
宮崎駿の作品からのメッセージを勝手に解釈し本読んだりしたその自分勝手さが同じ人も出会ったこともなく、
アイデン&ティティの彼女のような人もこの世界にいないと思うし、
インターネットを受け入れることさえためらった自分が今ではバリバリお世話になってることも、
誰とも共感できないことです。
それはキスでもわからなければ、セックスでも感じないのです。
というか共感なんてくそくらえなのです。
ただの勘違い。
ああ、この人とつながってたという勘違い、それこそ愛なんじゃないかと思います。
私は、目に見えないことを信じようとしません。
なので、死んだ後の世界も信じないし、ブラックホールでさえもあんまり信じてません。
でも愛は目に見えます。その勘違いは目に見えると思ってます。
僕はもう結婚をしないというのは、
それをもう十分に味わったからです。
リリシストでもフェミニストでもないただのナルシストですが。
愛は見える勘違いだと思います。
しんご
「あいうえお作文 あ 愛」
しんご
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